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March 02, 2005

真の友好関係確立のために~日韓関係について思うこと

韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は、昨年の光復節の演説で「今も親日の残滓(ざんし)が清算されず、歴史の真実さえ明らかにできていない。歪曲(わいきょく)された歴史を正さなければならない」と述べた。さらに昨年暮の指宿での日韓首脳会談の記者会見において「随分永い時間が経っているのに未だに歴史の問題が解決していない」という趣旨の発言をしている。そして昨日の三一節(三・一独立運動記念日)の演説で「過去の真実を究明し、真に謝罪、反省し、賠償すべきことは賠償して和解するべきだ。それが世界の歴史清算の普遍的方式だ」と述べている。いずれの発言も、問題の根本は日本にあるとしているようなのだが、それは正しい認識なのだろうか?

日韓関係・日中関係はとても大切だと私は思います。単に二国間の関係が良くなるだけでなく、三国の関係が良くなり連携して地球規模で発生している様々な困難を解決していく必要があると考えるからです。

そこで日韓関係ですけれども、この両国の間にある問題が解決されないままでいるのは双方が責任を果たしていないからだと思います。通常、この問題を議論するときには「日本側にのみ問題あり」という前提で進められることが多いのですが、実は韓国側の歴史認識を改めないことには未来志向の善隣友好関係の構築なんてできない話なのです。(もちろん日本が改めなければならないこともあるのだけれども、それは当然のこととしての話ですので念のため)

まずは、朝鮮半島の近代化を自力ではなし得なかったという事実を認めることです。韓国では「日本に侵略されたために自らの力で近代化する機会を奪われたのだ」と主張し、公教育の場においてもそのように教えているようです。「悪いのはすべて日本」というのですね。(この点については、入門韓国の歴史―国定韓国中学校国史教科書などを参照してください)

しかし、史実は違っています。明治政府は朝鮮を侵略して植民地にしようなどとは考えていませんでした。開国間もない日本は自国のことで精一杯。欧米の進んだ科学技術や社会制度を導入して国を富ませ力をつけておかないと列強の植民地にされてしまうという危機感から国づくりに邁進していました。

そして隣国の朝鮮にもその考えを伝えました。なぜそんなことをしたかといえば、当時の朝鮮は1392年に李成桂によって建国された李朝の時代ですけれども、かつての日本同様、鎖国をしていたからです。そのために時代の流れから取り残され、技術的にも経済的にも欧米に比して劣った状態にあったのです。朝鮮が欧米列強の植民地になるようなことがあると日本はとても困ります。朝鮮にも鎖国を解いてもらい、日本と同様に欧米の進んだ科学技術や社会制度を導入して国を富ませ力をつけておくという政策を進めて欲しかったのです。できたらそれは朝鮮人自身の力によって行って欲しいと考えていました。

ところが朝鮮はそれを拒否します。正確に言うならば、実は朝鮮にも欧米の進んだ科学技術や社会制度を導入して国を富ませ力をつけることで欧米列強の植民地にさせられるのを避けようと考えた人々がいます。彼らは開化派と呼ばれており、代表的な人物としては金玉均(キム・オクキュン)などがいます。

1882年、金玉均は朝鮮王の高宗によって東京へ派遣されます。訪れた日本の繁栄した姿を見て彼は悟るのですね。「このままではいけない」と。日本のように近代化しないと欧米列強のいいようにされてしまうと気づいた彼は、日本滞在中、福沢諭吉や渋沢栄一などと交流し、帰国後、王に朝鮮の近代化を献策します。高宗はそれを受け入れて朝鮮の近代化に着手するのですが、学問と言えば朱子学しか知らない官僚や貴族に反対されて潰されてしまうのです。

「貴族」というと意外に思われるかもしれませんが、李朝は日本で言えば平安時代の藤原氏による摂関政治のような体制でした。王は始祖である李成桂の男系の子孫によって世襲されていましたが、政治の実権は后の一族によって握られていたのです。これを「勢道政治」と言います。さらに李朝は王統の対抗勢力を徹底して排除していました。土地はすべて王のものだし、地方へ赴任した貴族も2~3年で異動させて力を蓄えることのないようにしていました。日本では源氏にしろ平家にしろ、天皇や皇族の子孫が土着化して力を蓄えることで武士階級が成立していますが、朝鮮では武士が生まれないようになっていたのです。そもそも軍事力は明や清といった宗主国に依っていたのですから不要でもあったのですが。

さらに人が群れることを認めていませんでした。その結果、宗門一族で結束することになります。そして一族の出世頭は一族の他のメンバーの面倒を見るのが当然とされていました。面倒見てやらないと密告されて足許をすくわれかねないのですから、面倒を見ることになるのですが、それは腐敗にも繋がりますね。国の繁栄よりも個人や一族の繁栄が優先されてしまうのですから。今日でも政権末期になると大統領の一族の不正が発覚し、司法の裁きを受けるなんてことが繰り返されています。民主的な大統領とされた金大中大統領の一族でさえ司直の手を煩わせているのですから根は深いです。その源流は李朝時代に形成された文化によるところが大きいのです。

それはともかく、朝鮮の近代化に失敗した金玉均は日本に亡命します。しかし日本は彼を見殺しにします。事実上、軟禁状態におかれ、金銭的にも相当困ったようです。早稲田大学の図書館には大隈重信に宛てて窮状を訴える手紙が残されていることからも、それは窺えます。結局、彼は日本で10年ほど過ごした後、周囲が止めるにもかかわらず祖国の近代化をすすめる糸口を掴もうとして上海に渡るのですが、すっかり守旧派に取り込まれていた高宗の后の閔氏一族が放った刺客に殺されてしまいます。(1894年3月28日)

その間、朝鮮の宮廷は日本に近づいたかと思えば清に近づき、日清戦争で日本が勝利したものの三国干渉で遼東半島を放棄すると今度はロシアを頼りにするといった具合で、自立した国家運営をなしえませんでした。自主独立の朝鮮民族国家を建てる機会はいくらもあったのに、それを逃がしてしまいます。日清戦争に日本が勝利することで朝鮮は大韓帝国として清から独立するのですが、それすら日本の傀儡政権と主張し、日本による侵略の証としています。そのくせ竹島(韓国名は獨島)領有の根拠として大韓帝国の発した勅令を持ち出してくるのだからわけがわからない。ちなみにこの勅令は鬱陵島の領有を宣言していますが、竹島の領有を主張できるものでありません。第一、地図が作成されていない。正確な位置を知らないで領土の主張ができるものでしょうか。

韓国の歴史教科書を見れば明らかなように、朝鮮半島の近代化を自力ではなし得なかったという事実を認めないために、古代にまで遡って歴史の捏造をしなければならなくなるのです。いかに日本は酷いことをしているのかということをフレームアップしておかないともたない歴史なんておかしいでしょ。そのおかしさに気づいてもらえないことには、共通の歴史認識なんていうものは生まれるわけがないですし、韓国の人が納得できる謝罪を日本がすることもないはずです。

ここまで韓国側の問題に触れてきましたが、日本側に問題がないわけじゃありません。徴用した労働者の死を家族に知らせていなかったり(日本の常識としても問題だけれども、日本以上に家族の情愛が細やかで密な朝鮮の文化からするとこれは最悪!)、未払い賃金があったのに敗戦を理由に支払っていなかったりという問題がありますし、やってもいないことをやったなどと口にしています。今日、日本統治時代の問題点として韓国側が取り上げている話を辿っていくと日本に発信元がある場合が多々あるのです。

こういうことを言うと「あいつはウヨだ」だなんてレッテル貼りをされることでしょう。しかし私は右にしろ左にしろ、はじめに思想ありきではありません。事実をひとつひとつ自分自身で咀嚼して判断するのみです。日韓関係に興味を持ち始めたのは、参議院のウェブサイトで日韓交渉の日本政府代表を務めていた久保田貫一郎・外務省参与が巷間「久保田妄言」と称されている発言について説明している議事録を目にしたのがきっかけです。その昭和28年10月27日の参議院水産委員会の議事録によれば、氏の発言を「妄言」と決め付けるのはいささか問題があるのではないかと思いました。韓国側の動きがあってでてきた発言なのですから、それを知った上で判断しないとフェアーとは言えないと感じたのです。
なおこの議事録は国会会議録検索システムを使うと簡単に見つけられます。

ここで縷々述べてきたことをより詳しく知りたい方のために参考図書を紹介しておきます。
「日帝」だけでは歴史は語れない(三交社)および韓国併合への道(文芸春秋)
著者の呉善花(オ・ソンファ)さんはひとつの違和感を持っていたといいます。学校で習う日本の姿と両親から聞かされていた話とのギャップにです。それでも学校で習ったことの方が正しいのだろうと信じていたそうです。それが氷解するのは米国留学の足がかりとして日本に留学してからのこと。出会った日本人が日韓併合に到るまでの歴史を世界史の中に位置づけて冷静に見ているのを知り、歴史を歪曲しているのは韓国の側であると知ったと言います。そして書かれたのがこの本です。

同じ著者の生活者の日本統治時代―なぜ「よき関係」のあったことを語らないのかもおすすめ。ただこの本については「登場しているのは日本統治時代にうまい汁を吸った連中じゃないか」という批判があります。そういった声には次の2冊で反駁したいと思います。

私が朝鮮半島でしたこと1928年‐1946年(草思社)
これは戦前の朝鮮半島で土木工事に携わった人の体験記です。作業員として工事に関わった人たち(つまり庶民ですね)との交流にも触れられています。それを読むと「一方的に虐げられた」とする韓国の「自虐史観」がつくりものなのできないかとの疑いを強くします。

もう1冊はイザベラ・バードというイギリス婦人の旅行記です。
朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期(講談社)
彼女は1894年から1897年にかけて4度朝鮮半島を旅をしますが、それを記録したものです。当時のヨーロッパ人としては仕方のない部分もあるのですが、多少東洋的なものに対して偏見があります。日本も旅行しているのですが農村地帯についてはボロクソ言っています。どうも田舎が嫌いだったみたい。ですからそこのところは割り引いて見なければならないのですが、全体としては見たままを描写していると言ってよいでしょう。それによれば李朝末期の状況がどのようなものであったかがわかります。今日、日本統治時代の庶民の暮らしが悲惨なものであったとされ、それはすべて日本の侵略によってもたらされたのだとされているのですけれども、その主張には誇張や曲解が含まれていることがこの本から窺えます。

さらにもう1冊加えさせてください。
韓国人の情緒構造(新潮社)
この本は韓国を代表する日刊紙のひとつである『朝鮮日報』の取締役や論説顧問を務めた李圭泰(イ・ギュテ)さんのコラムをまとめたもので、韓国人のものの見方考え方を紹介しています。そのなかには日本人にも共通するものもあれば、思いもしない相違点もあります。なまじ似ているものがあるものだから互いの違いを認めずに相手を貶していたり、腐していることがありはしないでしょうか。それを反省させられる良い本でした。

[関連ファイル]

Dokdo is not Korean territory. The island is the Japanese territory where it is called Takeshima. It is decide by Treaty of San Francisco.
Article by Korean about Takeshima(Dokdo)

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Comments

私の拙い主張にコメントをいただきまして、ありがとうございました。平さんのご意見を拝見いたしまして、日韓関係に大変お詳しい方だと感心いたしました。

日韓の歴史認識にこうもズレがあることが、様々な摩擦を生んでいる原因と思います。でも、韓国が国として誤った歴史認識に基づく教育を行っている以上、日本人が何を言おうと聞く耳は持ってもらえないと思います。また、韓国がどのような歴史教育を行おうと日本がとやかく言っても始まらないと思います。

日韓両国民が交流をしていく中で、オ・ソンファさんのような人を増やしていくことが大切なのだと思っています。ただ、国と国との関係においては、正当な認識を持つべきと考えます。歴史認識は置いておいても、一国の大統領たる人物が40年前の日韓基本条約を無視するような発言は、それが韓国民の心情を考慮した国内向けの発言としても慎むべきです。ましてや、日本の拉致被害者を引き合いに出すなど、言われた方の心情を無視した発言は失言とも取れるものです。

平さんのご意見を参考にして、これからもいろいろ勉強をしていきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。

Posted by: tomorin | March 02, 2005 at 09:05 PM

tomorinさん、コメントありがどうございます。

》日韓の歴史認識にこうもズレがあることが、様々な摩擦を生んで
》いる原因と思います。でも、韓国が国として誤った歴史認識に基
》づく教育を行っている以上、日本人が何を言おうと聞く耳は持っ
》てもらえないと思います。
おっしゃる通りだと思います。しかし聞く耳をもってもらわないことには良き隣人として関係を深めていくことはできないと思います。ですから「韓国がどのような歴史教育を行おうと日本がとやかく言っても始まらない」と諦めてしまってはならないのではないでしょうか。声高に相手の非をあげつらわなくても事実をもって語らしめば良いのですから地道に事実を語ることです。

多分今頃どこかの掲示板で日韓のネチズンがバトルを繰り広げていることでしょう。しかし史料や史実に基づかないやりとりをいくらやったところで意味ありません。それどころか偏狭な攻撃的な感情のぶつけ合いからは嫌悪感は生まれても信頼感が生まれることはありません。ですから、まともな歴史の議論ができるようにするために、きちんと勉強しておくことです。たとえ大学教授なんて肩書きのある方でも史料や史実の理解で誤解や時には曲解をしていることがあるので要注意です。

》日韓両国民が交流をしていく中で、オ・ソンファさんのような人
》を増やしていくことが大切なのだと思っています。
そうですね。呉善花さんは故国では売国奴扱いされていますが、一方的に日本にシンパシーを寄せているわけではありません。日韓双方を熟知しているだけに、日本の問題点や課題の指摘は鋭いですし、時には大変厳しいものになります。そのことを韓国の人は知らないのですね。彼女の書いたものをきちんと読んでくれると良いのですが……。

》一国の大統領たる人物が40年前の日韓基本条約を無視するような
》発言は、それが韓国民の心情を考慮した国内向けの発言としても
》慎むべきです。ましてや、日本の拉致被害者を引き合いに出すな
》ど、言われた方の心情を無視した発言は失言とも取れるものです。
まったく同感です。がしかし、韓国の「反日」の半分は日本にも責任があるのです。本文でも触れましたけれども、日本人がでっち上げた話が韓国で独り歩きを始め、国中を徘徊しているものがいくつもあるのです。

たとえば、従軍慰安婦にするために挺身隊として若い女性を強制連行したという「体験」を告白した吉田某という男がいます。彼の出版した「告白本」を出版から数年経ってから日本の新聞社が見つけてきて騒ぎ立て、それにつられて韓国でも注目されるところとなりました。ところがこの「体験」というのが真っ赤な嘘。それに真っ先に気づいたのは彼が強制連行したという地域の地元紙の記者でした。さらに現在日本大学教授の秦郁彦さんのフィールド調査により嘘が暴かれ、吉田某も自身の「体験」がでっち上げ立ったことを認めています。しかし韓国内では今でもそれが真実であると受け止められていて、従軍慰安婦に対する補償を求める動きにつながっています。

従軍慰安婦と言った場合、日本政府あるいは日本軍によって強制的に連行されて性的行為を強要させられた者という意味合いで使わています。ところがこのような定義に合致する事例はないみたいなんですね。宮沢内閣のときに日本政府は韓国まで調査団を送り込んで聞き取り調査までしているのに見つかっていないのです。ところがどういうわけか日本政府は当時の河野官房長官談話で認めてしまうのです。やっていないことをやったというのは歴史の歪曲でしょ。日本が韓国民に対して謝罪しなければならないことがあるとするなら、真っ先に挙げなければならないのはこの点です。

これはほんと罪つくりだよ。落下傘工場とか銃弾なんかを作っていた工場とかへ派遣されていただけなのに、挺身隊と慰安婦がごっちゃになったまま日本政府が肯定してしまったものだから、周囲から白い眼で見られたご婦人がどれだけいることか。日本では慰安婦と挺身隊とは別のものとわかっていますけど、韓国では「挺身隊=慰安婦」なんですから。韓国は日本以上に貞操観念が強いから日本人の私たちが思う以上に辛いめにあっているはずです。

Posted by: 平 誠 | March 03, 2005 at 08:17 AM

Go Korea/Japanという日韓交流サイトで討論してますが…
韓国人と日本人との歴史認識のズレは、すごいですね。
韓国の歴史小学教科書なんかは、ひどいですね。
悲しくなるのは、国際的に冷静な判断で歴史認識している在日朝鮮人を「売国奴だ」と よく韓国人が 罵ることです。
韓国の意見は、ほぼ統一されてますね。
http://www.gokorea.jp/trans_bulletin/forum_list_view.html?uid=5059&fid=5059&thread=1000000&idx=1&page=1&sort=&keyword=&tb=transEtc4

Posted by: 猫耳通信社 | July 28, 2005 at 12:54 PM

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Tracked on March 30, 2005 at 12:57 AM

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