「日本の教育をだめにしたのは日教組」という迷信
「日本の教育をだめにしたのは日教組」という指摘がよくされます。しかしそれは本当なのでしょうか。
文部科学省がまとめた日教組組織率・新採加入率の推移(PDFファイル)というデータによれば、確かに昭和30年代初めには9割近かった日教組の組織率は一貫して下げ続け、昭和60年には5割を割り込み、昨年とうとう3割を割り込む体たらくなのです。かつてのような力はもはや待ち合わせていないと見るべきなのではないでしょうか。「いや、そんなことはない。その証拠に『新しい歴史教科書をつくる会』の教科書の採択率は1%にも満たなかったではないか」といわれるかもしれませんね。
確かに前回の結果は惨憺たるものでした。しかし、前回の採択で同会の編集した教科書の採択率が極めて低かったのは、単純に教科書としての出来が悪すぎたからに過ぎないのです。このことは出版元の扶桑社の方でもわかっているようで、今回は執筆陣を大幅に入れ換えています。教科書の執筆って他の本とちょっと違うんですね。他の本では書き手の主義主張を前面に押し出して書けますし、むしろそういう個性的な部分がないと評価されないのですが、教科書の場合にはできるだけ淡々と中立性に注意した書き方を工夫しなければならないのです。しかも最低限書かなければならないことは決まっていますし、紙幅の制約もありますから、職人芸に近いのです。ですから今回は教科書執筆の経験のある執筆者を多くするなど手が打たれています。その結果かなり完成度が上がってきているようですので、今回はそこそこ採択されるのではないでしょうか。
余談ですが、最近の教科書見たことあります?
先日たまたま今使われている歴史教科書だという画像を見つけたのですが、これはひどいことになっていますよ。中国か韓国の教科書を翻訳したものかと思いました。それというのも近隣条項なんて妙なものがあるからいけないのです。学術的に事実関係が確定していないことすら「近隣諸国への配慮」の一言で書いているのは教科書としては非常に問題です。
以前見た画像を紹介しようと思ったのですが、見つけられません。子供のいる方はぜひお子さんの使っている歴史教科書に目を通してみてください。
さて、日教組が影響力を失っているのに教育界に問題が多いのはなぜなのでしょうか。私は文部科学省のせいだと思います。管理が行き届きすぎたために教師が官僚化してしまっているのです。管理強化の弊害は教師自身が作成しなければならない文書の増大という形で現れてきています。ただでさえ忙しいのにこういったことでさらに時間をとられ、教師の本分である教材研究に回す時間がなくなっていたり、子供と接する時間が減ったりしているのが問題の根っこにあるのではないでしょうか。
そして採用と任用にも問題があるのではないでしょうか。教員の中途採用を認めるべきです。校長に民間出身者を登用する動きはある程度広がっていますが、日常的に児童生徒と接する教員にこそ社会経験の豊富な人材を当てるべきです。
それから教育の目的というか役割を見直すべきでしょう。今の教育は「国家有為の人材を育成する」という考え方で組み立てられています。大学は官庁や大企業の就職予備校になっていますし、高校から小学校まではその大学の予備校になってしまっています。日本が発展途上国だった時代にはそれでも良いかもしれません。しかし、今の時代には合っていないでしょう。教育の役割を「良き市民を育む」ことにおいて見直す必要があると思うのですが、皆さんどう思われます?
コメント、トラックバックいただけると幸いです。
[広告]お買い物は電網遊楽市場で!
TrackBack
TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/81227/4574580
Listed below are links to weblogs that reference 「日本の教育をだめにしたのは日教組」という迷信:

Comments
平誠さん、こんにちは∈^0^∋
ぼくが思うには、教員は最低5年から10年くらいは
社会人経験のある人を採用すべきです。
いきなり、大学を卒業して、翌日から大人となり教育
者となるには、いくらなんでも無理があると思います。
各省庁の制約ってかなりきついので、現場は振り回
されてしまうんですよね。その辺が、各省庁の担当は
理解していないのでしょうね。
くまさんことくまボンでした。ではでは(^.^)/~~~
Posted by: くまさん | June 16, 2005 at 11:19 AM
くまさん、コメントありがとうございます。
教員とか福祉関係の世界って狭いですからね。井の中の蛙に陥りやすいのです。それを避けるためにももっと柔軟な人事システムにしておく必要があると思います。
ちなみに採用条件は緩和されているようです。以前は25、6歳が受験資格の上限だったように記憶しているのですが、今回調べなおしてみたら採用の日現在40歳未満というところで線引きしているようです。この条件をもう少し緩めるか撤廃してしまえば良いのです。
もうひとつ考えられるのは補助教員の活用です。地域住民にもっと関わってもらえるようにすればよいのです。「総合学習の時間」の評判が良くないようですが、教師が何もかもしようとするから大変になるのですよ。地域住民の手助け受けたらいいんです。良い意味でのカンニングをすればよいのです。
私の伯父は数年前まで小学校の学校田の指導をしていました。子供たちの感想文を読ませてもらいましたが、良い学びをしているのがわかります。本やテレビでは得られないものを学び取っているように思います。稲作技術なんて今日日の先生ではわからないことだけでしょう。ならば伯父のような長年携わってきた者の力を借りるのは正しい選択ですし、稲作のことだけでなく、助け合いの大切さや年長者を敬うことなども自然に身につけられる機会を作り出しています。
助っ人先生を見つけるのが大変かもしれませんが、汗流す価値はあると思います。それも嫌というのでは話にならないですね。そういう人は教員辞めてもらいましょう。
Posted by: 平 誠 | June 20, 2005 at 04:41 PM