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February 22, 2006

今日は「竹島の日」です。

すっかりご無沙汰してしまいました。1日が48時間ぐらいあれば良いのにと思いつつ、なんとか元気にやっています。先ほどNHKのサイトを見ていましたら「家族を介護している人の4人に1人はうつ病とみられる」というニュースがありました。長いこと介護していたら介護している方が病気になるのも当然だと思います。とにかく忙しい。昔は大家族でしたから皆で少しずつ支えあうことができましたが、今はそうじゃありません。医療や介護の仕組みが整えられてきましたが、もっと社会的にフォローしていく体制にしていく必要があると思います。

さて、今日は島根県が制定した「竹島の日」です。1905年のこの日、当時リャンコ岩などと呼ばれていた島を「竹島」と命名して島根県に編入したのです。しかし先の大戦後、韓国によって武力をもって不法占拠され(韓国側はDokdoなどと名付けて自国領であると主張していますけれども、はっきり言って「侵略」以外の何ものでもないですね)、今日に至っています。

昨年はこの「竹島の日」制定を巡って荒れましたが、今年は日韓両政府とも静観する方針のようです。

この問題、双方に言い分があるのでしょうが、日本の主張が表に出てきていないように思います。もっとしっかり主張すべきことを主張しないと問題解決は遠のくばかりだと思います。日本国民がこの問題の要点をきちんと把握することが重要だと思います。あまりに知らなすぎた。

昨年の今頃書いたものを見つけましたので、それを紹介させていただきます。これを読んでもらえば大体のところは押さえてもらえると思います。

このところ日韓関係がギクシャクしている。直接的には島根県議会が「竹島の日」制定に向けた議案を提案したことと高野紀元駐韓大使が「竹島は日本固有の領土」と発言したことが引き金になっている。がしかし、真の原因は韓国が自力で近代化をなしえなかったことを認めず、すべての責任は朝鮮半島を侵略支配した日本のせいだとする歴史観、いわば「韓流自虐史観」を放置してきたためではないだろうか。

こう言うと韓国内からは「妄言」という声が上がってくるだろうし、国内からは「おまえは右翼だ」と言われるかもしれない。しかしそのようなレッテル貼りをするまえに歴史の真実に目を向けてもらいたい。

たとえば今一番問題になっている竹島だ。韓国側は「粛宗実録」の巻三〇 二十二年九月戊寅 の条で安龍福が「松島(現在の竹島)は即ち于山島だ。これもまた我が国だ、どうして住めるのだ」と言ったという記述があることを拠り所とし、1145年に編纂された「三国史記」の512年の条に于山国に関する記述があることを根拠として「獨島(竹島の韓国名)は新羅以来の韓国領である」と主張している。確かに于山国あるいは于山島に関する記述のある朝鮮の文献は数多くある。しかしそれらを読み解くとどう読んでも「于山島=獨島」とはならないのだ。

具体例をあげよう。「太宗実録」(1417年)では「金麟雨は島民3名を率いて于山島から本土に還ったときに、大竹、芋、アシカ等を持ち帰っている。また于山島にはおよそ15戸、男女併せて86人が住んでる」と記載されている。ところが竹島は全部あわせても東京の日比谷公園ほどの広さしかない岩ばかりの小島だ。なのにどうして86人もの人が農作物を作って生活していけるのだろうか。この記述を素直に読むならば于山島は鬱陵島のことと解するのが常識的に言って妥当ではあるまいか。
また「于山島=獨島」説は安龍福の証言のみが根拠となっている。彼は当時李朝によって渡航を禁じられていた鬱陵島に渡り、さらには国禁を犯して日本への密航を企てている。「粛宗実録」に記載されている証言をしたとき死罪になるか否かの瀬戸際にあったわけで、真実を語っているか否か甚だ疑わしいのだが、その点の検証が一切されていない。「粛宗実録」に記載されているのだから真実だとされている。この点について疑問を挟もうとすると「妄言だ」と言ってコミュニケーションを遮断されてしまうのだ。それが真の歴史を学ぶ姿なのだろうか。
さらに言えば、朝鮮の文書では鬱陵島と于山島は別のものとするものもあれば、同じ島の別名であるとするものもあって一定していない。本当に知っているのであれば、そのようなことは起き得ないと考えるのが常識的な考え方なのではあるまいか。

ちなみに日本側では元和4年(1618年)米子の大谷甚吉、村川市兵衛らが幕府から許可を得て当時は竹島あるいは磯竹島と呼ばれていた鬱陵島へ渡航していた記録がある。木材の切り出しやアシカ漁が目的だったのだが、その中継地として当時はまだ松島と言っていた竹島に寄っていた。大谷家の鬱陵島へ渡航は80年近く続いたが、元禄9年(1696年)に幕府から禁令が出たため終焉する。80年以上も空島政策が取られ事実上放棄されたも同然であったので日本領とすべきとの意見もあったが、鬱陵島は自国領であるとする李朝の執拗な抗議に応じてのことであった。

幕府は鬱陵島への渡航を禁じたが当時松島と呼ばれていた竹島への渡航は禁じていない。それどころか明確に日本の領土と認識していたので、1656年には改めて当時松島と呼ばれていた竹島への渡航許可を出している。そして鬱陵島への渡航が禁じられた後も今日竹島と呼ばれている島への渡航が続けられており、それは1905年の編入まではもちろんのこと、戦時色の濃くなった1941年まで続いていたし、戦後も1952年1月18日に一方的に李承晩ラインが設定されようと、1953年2月4日に韓国警備艇による日本漁船に対する銃撃事件(第一大邦丸事件)で多くの死傷者が出ようと、竹島への渡航や周辺海域での漁業が続けられてきたのである。1953年7月12日、竹島に上陸していた韓国の守備隊(警察とされているが軍隊並みに武装)が日本の海上保安庁巡視船に発砲し、日本政府の抗議にも関らず島の武装化を進めるとともに、接近しようとする日本の艦船に攻撃を加えるようになるまで支配し続けてきたのである。17世紀から続く実効支配の記録が日本側にあり、また当時松島と呼ばれていた竹島の正確な位置や島の形を映した地図が江戸時代にはすでに作られている。一方、韓国側からはこのような実効支配の証拠が何も示されていない。1953年7月12日の武力による占拠以来の支配の事実は数多く明らかにされているが、それ以前の実効支配の証拠がまったく出てこないということは実効支配の事実がないということに他ならないのではないだろうか。

今日、竹島に関する日本政府の立場は、1952年4月28日、日本時間で午後10時30分に発効した「日本国との平和条約」(いわゆる「サンフランシスコ平和条約」あるいは「対日講和条約」)によって日本への帰属が保障されているとしている。すなわち、その第二条(a)項で「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と規定されている。この条文は1910年の日韓併合以来、日本が朝鮮半島とそれに付属する島嶼、済洲島、巨文島および欝陵島に持っていた権益を放棄することが決められている。このリストに韓国側が獨島と呼ぶ竹島は含まれていない。つまり言い換えるなら竹島の領有権が日本にあることを国際社会が認めているのである。

1965年の李承晩ライン廃止までに328隻の拿捕船と3929人の抑留者と44人の死傷者を出しながらも日本政府は平和的解決を求め、領有問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案している。しかしながら韓国政府はこれに応じていないし、1965年の「日韓基本条約」の付随協約のひとつである「紛争の解決に関する交換公文」(いわゆる「日韓紛争解決交換公文」)で「両国政府は,別段の合意がある場合を除くほか,両国間の紛争は,まず,外交上の経路を通じて解決するものとし,これにより解決することができなかつた場合は,両国政府が合意する手続に従い,調停によつて解決を図るものとする」としているのに、韓国は「獨島はわが国固有の領土であって紛争問題にあらず」として交渉のテーブルにすら着いていない。固有の領土と主張するなら既に指摘したように実効支配の証拠を示さなければ国際法上認められない。国際法上認められない占拠は違法行為である。

なお、1905年の日本領へ編入が無主地の法理に基づいて行われたことを批判する人々がいる。無主地の法理というのは国際法上の考え方のひとつであって、欧米列強が原住民から土地を取り上げ植民地を拡大していった際に用いられたものである。そのことをもって日本による侵略行為の証としているのだけれども、1905年の竹島編入に関してはそれが便宜的なものであることは明らかだ。つまり、江戸時代以来継続して日本が実効支配しているのであるが、当時まだ発展途上にあり列強との間に不平等条約を結ばされていた日本は、彼らから横槍を入れられないよう念には念を入れた措置を施していたのであって、「編入」というと誤解を生むかもしれないが実際のところは日本領であることの再確認をしたに過ぎないのである。
また韓国側は1900年の大韓帝国勅令第41号に「区域は鬱陵全島と竹島、石島を管轄すること」とあることを根拠にこの石島こそ獨島(日本が1905年に「竹島」と命名した島)であると主張しているのだが、これは国際法上意味をなさない。なぜならば島の位置の記載がないのだ。おまけに「発音が似ているから間違いない」とまで言い出す始末。無理に無理を重ねているからこのような屁理屈のようなことまで言い出さなければならなくなってしまうのだ。


ところでなぜこうまでも韓国側は竹島にこだわるのだろうか。その理由を推測する手がかりが、その位置づけにある。韓国側の主張によれば、1905年の竹島の日本領への編入が朝鮮(韓国)に対する日本の帝国主義的侵略の始まりである、と言うのだ。そして日本の侵略によって虐げられ、朝鮮民族が自力で近代化を図る機会を奪われたことは屈辱であり、そのような行為を行った日本は謝罪と賠償を行えと言うのである。しかしながら、すでに見てきたとおり竹島の日本編入は国際法上正当なものだし、朝鮮民族が自力で近代化をなしえなかったのは日本の侵略のせいである、と言うのは史実に反する。朝鮮民族が自力で近代化をなしうるチャンスはいくらもあった。たとえば開化派の金玉均(キム・オックキュン)らの改革もそのひとつ。しかしその機会を逃がしてしまうのは朝鮮人自身であった。かてて加えて「悪いのはすべて日本せい」としていて公教育の場においてもそのように教えている。しかもこの「日本は朝鮮民族を虐げた悪者」という歴史観を古代にまで遡って執拗なまでに子供たちに叩き込んでいる。そんな「韓流自虐史観」を叩き込まれた人々が国民の大半を占めているのである。何かあれば反日で凝集し、集まれば熱くなる韓国人の国民性が影響して一層過激な行動に出るようになるのだ。
誤解のないように言っておくが、私は「日本の侵略」を全否定するつもりはないし、それについて免罪符を得ようとも思っていない。がしかし、やっていないことは謝れないし、謝罪の言葉を口にしたとしても心が籠りはしないだろう。

盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は、昨年の光復節の演説で「今も親日の残滓(ざんし)が清算されず、歴史の真実さえ明らかにできていない。歪曲(わいきょく)された歴史を正さなければならない」と述べた。さらに昨年暮の鹿児島県指宿での日韓首脳会談の記者会見において「随分永い時間が経っているのに未だに歴史の問題が解決していない」という趣旨の発言をしている。そして先日の三一節(三・一独立運動記念日)の演説で「過去の真実を究明し、真に謝罪、反省し、賠償すべきことは賠償して和解するべきだ。それが世界の歴史清算の普遍的方式だ」と述べている。いずれの発言も、問題の根本は日本にあるとしているようなのだが、両国の間にある問題が解決されないままでいるのは双方が責任を果たしていないからだと、私は思う。
通常、この問題を議論するときには「日本側にのみ問題あり」という前提で進められることが多いのだが、実は韓国側の歴史認識を改めないことには未来志向の善隣友好関係の構築なんてできない話だ。もうそろそろ自分たちこそ歴史を捏造し、歪曲していると気づいていただきたいものである。「韓流自虐史観」の呪縛を解いてもよいのではないだろうか。そのためにはまず朝鮮半島の近代化を自力ではなし得なかったという事実を認めることだ。それを認めないでいるから古代にまで遡って歴史の捏造をしなければならなくなる。いかに日本は酷いことをしてきたかということをフレームアップしておかないともたない歴史なんて異常だ。そのおかしさに気づいてもらえないことには、共通の歴史認識なんていうものは生まれるわけがないし、韓国の人々が納得できる謝罪を日本がすることもないはずだ。
今回の大統領の発言は国内向けのものだと私は見ている。しかし現代は情報化社会である。ネットを通じていくらでも情報は行き来する。大統領の発言に日本では特に若い連中が腹を立てており、「日韓友情年2005を中止しよう」などと署名運動を始めてもいる。「嫌韓」や「反韓」感情を持つ日本人が急増している。非常に危険な状況に進みつつある。決定的瞬間を避ける努力が日韓双方に求められている。もう「妄言!」の一言でコミュニケーションを遮断することは許されない。

[関連ファイル]

Dokdo is not Korean territory. The island is the Japanese territory where it is called Takeshima. It is decide by Treaty of San Francisco.
Article by Korean about Takeshima(Dokdo)


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